さて、どこから話したら良いんだろうか。
俺の人生至上、一番と言って差し支えないほどの苦行を乗り越えたばかりで、はっきり言ってしまえば、すぐにベッドに入って快眠を貪りたいところではあるんだが。
かといって、このまま寝られるほど、俺の精神状態は安定しているわけでもなく。


「まぁ、ようするに……」


俺は、愚痴を聞いて欲しいのだ。
どんな形でもいい、独白でも、メールでも、電話でもいい、今ならそうだな、ブログというものに書き連ねても、原稿用紙なんていう括りなど軽く越えた大作を作ることすら不可能ではないんじゃないかと感じている。
さぁ、というわけで、聞いてもらおうか。
俺の苦行を。



















先日、よく訳もわからないうちにハルヒの上機嫌で終わった午前だけの不思議探索。
世界の崩壊が近いのではないか、と思ってしまいそうなそんな局地的に波乱を起こした日ではあった。
俺としては、コレ幸いと普段ならば出来ないであろう昼寝という世界に潜り込むべく、揚々として帰宅したわけなのだが。


「さて、今日はもう何も予定はないし、寝るか」


だがしかし、なかなかどうして、神……いや、この場合ハルヒになってしまうのだから違うのか、ならそうだな、『運命』とでも例えようか。
その『運命』とやらは、大層俺が嫌いらしい。
俺としては歓迎しかねる『運命』からのラブコールは、俺が目を閉じた瞬間に訪れた。


「……着信……朝比奈さんからか」


最初はもちろん、マイエンジェル朝比奈さんからの電話に、年頃のオトコノコとしては正しい反応をしたという自信がある。
考えても見て欲しい、可愛くて、美人で、微笑みが似合い、ティーンズファッション誌を飾りそうな容貌を持った女性から、俺宛へのコールが入ったんだ。
少なからず緊張して電話口に出るってもんだろう?


「もしもし?」
「もしもし、キョン君ですか?」
「はい、そうですよ」


俺以外だとしたら、誰が出るんですか朝比奈さん。
もし出たとしても、間違い電話でしたって言って切らなきゃダメですよ?


「よかった、この時代のこういったデバイスはほとんど触ったことがなくて……」
「はぁ……?」


未来ではどうやら携帯という文明の利器は使われていないらしい。
恐らく、今の俺達には想像もつかないようなモノで会話したり、映像を送ったりしているんだろう。


「それで、どうしたんです?」
「ごめんなさい、詳しくは禁則事項なんですが……」
「まぁ、それは慣れてますから」


まぁ、自分でもそんなものに慣れるというのはいかがなものかと思うが。
そんな俺の考えなど知る由もない朝比奈さんだが、俺の台詞を聞いたあと、数瞬の間を空けて、唐突に切り出してきた。


「明日……気を強く持ってくださいね!」
「……は?」
「たとえ、孤立無援でも、精神的に追い詰められそうでも、絶対にキョン君は自分を強く持ってくださいね!!」


最後の方は、半分涙声になっているような気がした。
恐らく、この電話口の向こうでは、本当に朝比奈さんがなみだ目で訴えているんじゃないかと、亡羊とした頭の片隅でそんなことを考えていた。


「……はぁ、よくわかりませんが、要するに自分を見失うなと?」
「そうです、それだけなんです、ごめんなさい」


いえいえ、貴女からの電話であるなら、財布の中身を豪快に消費したとしても足りないくらいの価値がありますよ。


「わかりました、とりあえず、明日は自分をしっかり見失わないで頑張りますよ」
「頑張ってくださいね、キョン君」


そんな幸せな時間も過ぎ、いつもとさして変わらない行動をし、睡眠に就いた俺だったのだが……
……はぁ、やはり、俺の認識の甘さが原因だったんだろうなぁ。
俺が買い物に付き合う相手は、涼宮ハルヒその人だということを、知っていたはずなのに……
いや、だからこそ俺は、油断しちまったんだろう。
機嫌のよかったハルヒを見てしまったから、普段、なんだかんだでみんなと行動している時に、あまり派手な無茶をしないハルヒを見たことがあったから。


















「さて、時間もそろそろ良いところか」


ハルヒに指定されていたのは10時に駅前、ご丁寧にも朝7時頃にメールが来て、遅れたら死刑という無駄にデコレーションが施されたメールが、8時頃に俺が起きるまで送られてきていたらしい。
本当に、ご苦労なことだ。


「……あいつ、一体何時に起きたんだ?」


そんな疑問が頭に浮かぶが、結論は出ない命題として脳の片隅に移動しておいた。
そして、不思議探索に赴くのと変わらないような服装と気軽さで、待ち合わせの場所に向かった。
「やっと来たわね?」
「……時間を見ろ、ちゃんと時間前だろうが」


これで文句を言われる場合、俺はお前よりも必ず早く来てなけりゃいけないということになる。
お前が何時にこっちに来ているかは知らないが、そんなルールを押し付けられてたまるか。


「ま、いいわ、それじゃあ行くわよ」
「……とりあえず、俺はどこへ行くのかは聞いていないんだが?」


前に聞いたときは、確かショッピングとしか答えなかったはずだ。
まぁ、買い物をするような事を言っていた時点でショッピングは確定し、その内容までは秘匿されていたということになる。
当日になったわけだし、約束をすっぽかす事無く現れた俺に、多少の情報公開くらいしても良いんじゃないかと思うんだがね?


「別に、くれば分かるわよ、つべこべ言わず着いて来なさい」


いつも通り俺の質問に対して、まともな回答は返ってくることもなく、目的地があると思われる方向へと歩き出したハルヒを、俺はしぶしぶと着いていくしかできなかった。
だが、その追走もそう長く続くことはなかった。


「…………」
「…………」


目の前にそびえたつ店。
そこまで目立った外観ではなく、むしろ大人しい雰囲気が漂い、窓には陽光を多少制限するためか、ショーウィンドウ以外に、店内を見ることの出来る場所はない、そんな店、なのだが。


「……帰る」


店を前にして、180度回転し、もと来た道を戻ろうとしたが、その道程も瞬時に伸びたハルヒの腕によって阻まれ、俺は、抵抗もむなしく、その店へと強制入場させられる羽目になった。
その店とは、察しのいい人ならすぐに想像がつくだろう。


「止めろ!嫌だ!さすがにコレはないだろう、ハルヒ!!」
「ごちゃごちゃうっさい、さっさと来る!」


純真無垢、穢れを知らない子供時代しか男は入れない未知の領域。
そう、そこは、ランジェリーショップ……婦人用下着販売の店だったのだ。


「いらっしゃいませ」


強制的に踏み入れたその未知の領域は、谷口あたりなら泣いて喜びそうなモノがあたりまえなのだが、沢山あった。
しかし、俺はそんなものに気を取られる暇もなく、現状という居心地の悪さと目を閉じつつも、真っ向から戦わねばならなくなっていた。


「あ、これ可愛い」


一方のハルヒは、俺なんかお構いなく、すでに選別に入っているらしい。
目を開けることができない俺としては、拷問に等しい所業だ。
……頼むから、早く終わってくれ。


「……あ」


そう願う頭の隅に、朝比奈さんの一言が思い出された。
『頑張ってくださいね、キョン君』……ね、これがそういうことですか。
できれば、禁則事項を超えて、教えて欲しかったですよ……



















「うん、目的のものも買えたし、満足ね」
「……そうかい」


俺の姿は今まさに、満身創痍というのが相応しいだろう。
店員や他の客の奇異の視線に晒されること1時間半、俺はようやく外の世界へと脱出することを許された。
あぁ、外がこんなにも平和な世界だと、強く実感できることが素晴らしい。


「それにしても、キョンのあの顔といったら……」


その素晴らしさを甘受している俺の横で、ハルヒは俺の痴態を思い出し笑っていた。
くそ……この苦しみは男しかわからんだろうよ。
せいぜい思うがままに笑うがいいさ。
……くそ、忌々しい。


「キョン?」
「……次は、なんだ?」


笑うのを唐突にやめ、なぜか真面目な顔をしたハルヒが、俺のことを覗き込んできた。
その表情は、どこか申し分けなささを含んでいるように見える。


「……ごめんね」
「ん、なんて言ったんだ?」
「ごめんね、キョンには居づらかったわよね……」


この場合、驚いたといえばいいのか、呆れたと言えばいいのか。
とにもかくにも、俺は唐突のハルヒの台詞で思考回路が全てストップし、ついつい固まってしまった。


「ほんとに、ごめんなさい……」


どうやら、ハルヒとしては、俺がわめき騒ぐ様を見るのが目的という、傍迷惑な計画を立てていたらしい。
だが一方で、俺の態度はまぁ……なんというか、情けないから記憶の彼方に忘却したいところではあるのだが、これ以上ないというくらい居づらそうにしていた俺を見て、罪悪感を感じたようだ。


「……まったく」


どうしてこいつはこうも捻くれた行動しか取れないのか、そして、どうして俺はそんなこいつに、毎回毎回付き合ってしまうんだろうか。
俺が声を出したと同時に、ビクッと震えたこの目の前の団長様が、なぜか愛しく感じられて、俺の手は、自然とハルヒの頭へと伸びていた。


「……キョン?」


ハルヒが、おずおずと顔を俺に向けてきた。
だが、俺の手は変わらずハルヒの頭を撫で続けている。
完全に、俺のほうを向いたのを見届けてから、俺は苦笑混じりの笑顔を向けてこう言ってやった。


「買い物に付き合うのは構わないが、今度からは普通に俺でも行ける店にしてくれよな?」
「あ……うん」


まるで、借りてきた猫だな。
不覚にも、俺に大人しく撫でられ続けているハルヒを見て、そう感じてしまった。
今のお前は、普段とは違ってお前らしくないぞ?
いつでも天真爛漫で、唯我独尊で、妨げるものがあるのなら壊してでも進むのがお前だろう?


「それじゃぁ、次はどこに行くんだ、団長さん?」
「え……?」
「え?じゃないだろう、今日の俺は、団長が罰則だって言って連れられてきたんだから」


言外で、まだ買い物に付きやってやるよと、込めたつもりだったが、どうやら俺の希望通り、こいつには通じたらしい。
いつものこいつらしい笑顔に戻って、ハルヒは声も高らかに宣言した。


「もちろんよ、さぁ、次、行くわよ!!」
「はいはい、わかったよ、ハルヒ」


あの本の結果も、今考えて見ればまんざら外れてもいないし悪くもない。
俺とハルヒは、『最終的にはいつでも隣にいる』か。
確かに最後にはいつもこいつがいたな。


















ま、こんな目にあうのは、もう真っ平ごめんだが。


















たまになら、占いを信じてみての行動に付き合ってやっても、悪くはない。


















 後書き

そして唐突に始まった連作が終わります(ぁ
目的はキョンに苦労させるということだったんで……w
男が行きづらい場所の上位と言えばこれでしょう?
存分に行って来い、キョン。

内容描写は実はわざと省いてます。
お好きに妄想してくださって構いませんよ。
例えばハルヒが試着してそれをキョンに見せようとしたとか!
キョンがついつい凝視していた奴をハルヒが買おうとしたとか!
うん、落ち着こう、俺。

まぁ、今回はこれまで。
それでわ、また、次回作にて。

            From 時雨  2007/06/10