「あー、あー……?」 ……冒頭から失礼した。 どういうわけか、ここ数日、なにやら耳が遠いとでも表現すればいいのか。 いまいち聞こえが良くないようなんでな。 「自分の声は気導音と骨導音とやらで通じるが、他人の声が聞こえるかは怪しいものがあるな……」 まぁ、原因はわからないが、特に何かをした記憶もない。 これならば、数日もしないで元に戻るだろう。 その時は、この考えが甘いなんていうことは、俺には想像すらしていなかった。 「おいーっす、キョン」 「おはよう、キョン」 朝、少しだけ早めに学校に到着すると、待っていたと言わんばかりに谷口と国木田が現れた。 単調な言葉なら、なんとか口の動きで把握できるが、予想通りいまいち聞こえが良くないな。 「おはよう。で、どうした、早々に俺のところに来るなんて」 国木田が来ること自体には問題は無い。 だが、谷口が動き出したということは、少なからず面倒事か、自慢話が待ち受けている。 さすがに、この状態で聞いたとしても、俺に理解できるかはわからないんだが。 「いやー、昨日やってたドラマなんだけどよー?」 「……ドラマ?」 昨日は、耳が不調で早々にベッドに入ったから見ていないな。 えーっと、昨日やっていたドラマと言うと…… 記憶の隅っこに転がっている新聞のテレビ欄を思い出してみる。 「……すまんが覚えてない、どんな話なんだ?」 「いやぁ、主人公の身体がちょっと不自由なんだけどな、それにも負けないで普通の生活をするってドラマなんだけどよ」 よほど面白かったのか、谷口の口調は早く、ほとんど聞き取れなかった。 一応不自由がどうのってのは聞こえたんだが…… 「あれ……どうしたの、キョン?」 一所懸命会話を繋げようとしているのがわかったのか、国木田がそう問いかけてきた。 よく、俺の変化に気づいたな。 「いや、昨日からなんか声とかが聞き取りづらくてな」 「へぇ……耳鼻科には行ったの?」 「さすがに昨日の夜からだったからな、まだ行っていない」 どうせ数日で治るだろうと考えていたから、そもそも病院に行くつもりもない。 とりあえず、こいつらに話しておけば、他の連中から話しかけてくることもないだろう。 ……決して、俺の交友関係が少ないとかそういうわけじゃないぞ? 「なんだ、お前今日耳が聞こえないのか?」 「聞こえないわけじゃない、おぼろげながら聞き取れるし、人の口の動きで多少は把握できる」 残念ながら、読唇術なんてものは覚えてないから、本当に曖昧にしかならないけどな。 指し当たってそこまで学校生活中では影響はないだろうさ。 「まぁ、そういうわけでな、反応が悪いかもしれないが気にしないでくれ」 「うん、わかった。他の人たちには僕から言っておくよ」 「すまん」 こういう時、少なからず隣のバカよりは気遣いができるのが国木田という男だ。 口の動きを多少大げさにして、俺に何を言っているかを把握しやすいようにしてくれている。 「僕はいいけどね、涼宮さんがどういうかな?」 「……ハルヒが?」 何故か、ハルヒのことを話題に出す国木田。 どういうもこういうもないだろう、俺の耳が聞こえないのは不可抗力ってやつだし。 「それで納得するのならいいんだけどね……それじゃ」 「あぁ」 なにやら意味深な事を言ったと同時に、岡部が教室に入ってきた。 どうやら、こいつらと話しているうちに、それなりの時間が過ぎていたらしい。 俺にあてがわれた座席に向かうと、そこにはどういうわけか、最初からアヒル口全開のハルヒがいた。 「……よう」 触らぬ神にたたりなし。 その格言を今ほど尊いと思ったことはないね。 俺は、よくわからないハルヒの不機嫌さから逃れるように、挨拶一つして席に座った。 さて、どうせ授業を聞いても聞き取れるかわからんのだ、寝てしまおう。 「……さい……こら、キョ……」 何か、聞こえる…… この声は、起きなきゃまずいような気がする。 だが、俺の精神は、未だ眠りの世界から現実に回帰することを拒んでいた。 「……って言ってるのよ!!」 だが、現実とはそんなに甘いものではなかったらしい。 俺に襲い掛かった急激な力に逆らう間もなく、頭が後ろの机に熱烈な出会いを果たした。 「いってぇ!!」 「人が呼んでるのに寝てる方が悪いんじゃない!」 痛む頭を押さえ、後ろを振り返ってみれば、最初に見た時と変わらぬアヒル口のハルヒが健在だった。 ……いや、さっきよりも目が厳しくなっているようにも見える。 「何の用だ、というかもう少し優しく起こせないのか、お前は」 「うっさいわね、もうお昼だから起こしてあげたっていうのに」 ……どうやら、軽く寝るつもりがガッツリと寝てしまったらしい。 おかしいな、俺の予定では1時間目が終わったと同時に目覚めるはずだったんだが。 「それより、ちょっと来なさい」 「うぉ、ネクタイを引っ張るな!」 事あるごとに引っ張られている俺の衣服は、他の連中より確実に寿命が早いだろう。 ……できるのなら、買い替えなんてことがないようにして欲しいんだがな。 そんな無理かもしれないことを考えているうちに、ハルヒによって連れられて来たのは恒例の場所だった。 「あんた、今日耳が聞き取りづらいってホント?」 ……早口で恐らく何かを言ったんだろうが、あいにく聞き取り切れなかった。 一応こいつの表情からなんとなく予想は付くが、それは事実じゃないからな。 「すまん、もう一度行ってくれ」 「……ホントに聞こえづらい見たいね」 「あぁ、どういうわけか昨日の夜からな」 俺のその一言を聞いたハルヒは、何故か考え込むような仕草を見せた。 ……なんだ、珍しいな。 ハルヒがこんな反応をするなんてことは滅多に見たことがないんだが。 「まるで……みたいじゃない」 「ん、何か言ったか?」 俯いたまま、ハルヒの口がわずかに動いたように感じた。 「なにも!ま、いいわ。とりあえず教室に戻るわよ!」 「だから、ネクタイを引っ張るなって!!」 何を言ったのか、どういう結論に達したのか。 まったくそれらがわからないまま、俺は再びハルヒに引きずられて教室に戻ることになった。 ……なんなんだ、いったい? 「お、戻ってきたな。おーい、キョン〜。別のクラスの奴が呼んでるぜぇ」 教室に戻ってみると、谷口がそう言って来た。 ……別のクラス? 他のクラスに知り合いなんていないと思うんだが…… 「……お前か」 「どうも。あと長門さんもいらっしゃいますよ?」 「あら、有希に古泉君。どうしたの?」 席に戻っていたはずのハルヒが、ひょっこりと俺たちの方に顔を出して来た。 ……興味があることには何でも首を突っ込むのか、お前は。 「いえ、少々彼に用事がありまして。涼宮さんには申し訳ありませんがお借りしていきます」 用があるのはかまわないが、俺をハルヒの所有物のように言うのはやめろ。 もっと尊重すべき人権とかが他にあるだろう。 「いいわよ別に、キョンはあたしの物じゃないし、よしんば物だとしてもいらないわ」 「……そう」 何故か、ハルヒの台詞にいち早く反応したのは長門だった。 そして、珍しく積極的に動いた長門が何をするかと思えば…… 「お!?」 「え、ちょっと!有希!?」 「持っていく」 俺の手を引いて、長門は相変わらずの無表情で歩き出した。 そんな俺たちの様子を、少しだけ面白そうに見た古泉、ハルヒに一声かけてついてきた。 「おい、どこまで行くんだ?」 そのまま、不思議な無言空間に巻き込まれ、いまいち喋り出すこともできなかった。 しかしそれも、いつぞやの閉鎖空間から戻ってきた時に古泉と話をした場所で開放となった。 「まずはここまで連れて来たことを謝罪します、すいません」 「まぁ、それはいい……とりあえず、用件を言ってくれ」 引きずられて移動するのには、残念ながら慣れているしな。 それよりも、お前たちがわざわざ顔を出したってことは、なんかあったってことだろう? 「またしても、涼宮さんの能力によって、その影響が貴方に出ていると長門さんから伺いました」 言われて、身体の力が無駄に抜けたような感覚に襲われた。 「……俺の耳が聞き取りづらいのは、あいつが関係してたのか」 「昨夜放送された娯楽生命体の娯楽用電波放送、それに感化された涼宮ハルヒが無意識領域で望んだこと」 長門、頼むからもっと簡潔に言ってくれ。 ただでさえ聞き取りづらいのに、そんな小難しいことを言われても理解できん。 「つまり、またドラマの主演に貴方と涼宮さんを置き換えられたということですよ」 「そんなに愉快なストーリーだったのか?」 ハルヒが興味を示すくらいだ、よっぽど面白おかしい一大スペクタクルだったんだろうさ。 あいつがラブロマンスなんかを見るなんて想像できないしな。 「残念ながら、純然たるラブロマンスのドラマでしたよ」 「……はぁ?」 俺の耳が聞こえないからこそ、幻聴が聞こえたのかもしれない。 今、ラブロマンスって言ったか? 「恐らく察しはついていらっしゃるでしょうが、ストーリーは耳が不自由な男性作曲家と、それを甲斐甲斐しく世話をする女性の話でした」 あまり察したくは無かったが、ドラマに当てはめられたと言う以上ストーリーも予想が付いていた。 ……なんでまた、そんなことを望んだんだ、ハルヒは。 「ここ暫く、特にイベントらしいイベントも起きていませんでしたからね」 「……それで片付けられると、被害を被った俺としては物凄く複雑なんだが」 ただでさえハルヒが起こすドタバタ劇に巻き込まれているんだ。 せめて日常くらいは大人しく過ごすって事を覚えてもらいたい、切に。 「大丈夫ですよ、そろそろ貴方の耳も良くなってくる頃かと思います」 いつも通りに仮面スマイルで、飄々とそんな事を言い出した。 「……なぜ、そんなことがわかる」 「実際に、不自由が存在するというのは、生活上大変不便なものです」 それはなったからこそ良くわかる。 こんなハンデを背負う事になるなんて、思いもしていなかったが。 「涼宮さんは、その状態を好ましく思っていません」 「望んだのがあいつなのにか?」 それだと、話に矛盾が発生するだろう。 「涼宮ハルヒが望んだのは、対象に対して献身的に行動するという行動理念。しかし一方で涼宮ハルヒ自身の声をしっかりと聞き取り、行動に移って欲しいという願いが混在している」 ……長くてよくわからんな。 「つまり、涼宮さんは貴方にはしっかりと自分の声を聞いて欲しいんですよ」 「それはずいぶんな我がままだなぁ?」 「ですが、きちんと心配もしているようですよ?」 そう笑いながら古泉は俺の後ろの方を指差した。 その方向を見てみると、なにやら見覚えがありすぎる黄色いリボンが見えた。 ……アレで隠れているつもりなのか、頭が丸見えなんだが。 「それに、先ほどから耳の方は聞こえているでしょう?」 「あ、そういえばそうだな……」 最初は聞こえなかった長門の長い台詞が、今は普通に聞こえていた。 いつの間にか、ハルヒの迷惑この上ない願望から開放されたって事か。 「ドラマの最後では、耳が良くなった男性が、女性に対して感謝の言葉を捧げていました」 ―――――貴方も、それにならってみるのはいかがでしょう? そんな台詞を残して、長門と古泉は自分のクラスへと戻っていった。 ……原因に、感謝の言葉を言うってのは、どうかと思うがね。 「……おい、ハルヒ」 俺が未だ隠れているつもりであろうハルヒに声をかけると、目に見えてびくついた後、観念したのか出てきた。 「あ、あら、キョン。奇遇ね」 「……まぁ、そう言うことにしておこうか」 あれだけあからさまに見えていたのに、どうやら今来たことにするつもりらしい。 なんとも意地っ張りなこいつらしいと言うか。 「あら、キョン……そういえば耳が?」 「あぁ、ついさっきどういうわけか治ったみたいなんでな、よく聞こえるぞ」 俺のその一言で、ハルヒは一瞬だけ嬉しそうな顔を見せた。 ……古泉たちの言ってた事は、どうやらあたりらしいな。 「まったく、変な奇病にかかってるんじゃないわよ。そもそも団員としての心構えが足りてないんだわ!」 その表情を隠すためか、すごい勢いでまくし立てるハルヒ。 そんなハルヒを視界に納めつつ、暫く見ているのも面白いかと思った。 そして、それと同時に俺の中に湧き上がってきた、珍しい感情も。 「ハルヒ」 「な、なによ」 ハルヒとは裏腹に、割と冷静な俺を見て、恥ずかしくなったのか顔を赤くするハルヒ。 それに苦笑しながらも、俺は一言だけ、ハルヒに言葉をあげる事にした。 「心配してくれて、サンキューな」 その後のハルヒの表情は、俺の胸にだけしまっておく。 他の奴に教えるのは、もったいないからな。 後書き 短編は久々なような気がしますねー なんでこんな話が思いついたのか、自分でもわかりませんが〜 まぁ、たまには短編も書いておかないと、勝手を忘れそうですから。 あとは思いついたときに書くのが俺クオリティ。 いや、そんなクオリティいらない。 まぁ、とりあえず素直になれないハルヒ、そんなお話でした。 それでわ、また、次回作にて。 From 時雨
初書き 2008/01/26
公 開 2008/01/29 |